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6月, 2020の投稿を表示しています

本多裕樹による作画・アルテマウェポン ギャラリーK アートアニマル展 出品作

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本多裕樹による作画・アルテマウェポン ギャラリーK   アートアニマル展 出品作 この鮮烈な赤い火を吐く獣は、ファイナルファンタジー6に出てくるボスキャラを描いたものです。実際の図とは違って、僕流で描いた獣です。 この絵の見所は上から見たり、下から眺めたりなど様々な視点から鑑賞を楽しめます。 僕はこの作品に力をパワーを込め、狂気の状態で描きました。精査作の時にはもう、自分が描いたものでないかのように無心であった。しかし、絵筆には力を入れずに流れるようになんかできてしまった。 そういうと鑑賞者もがっかりするかもしれない。そんな無作為に描いたのかと! だいたい絵画作品を描き時はなにも考えていないかもしれない。ただ、心はどこかにおいてきて、体が絵筆が勝手に動くのです。 しかし、描く前にもう作品はできているのです。一週間くらい構想というかイメージを作って、それも下絵もしません。想像の世界でそういう図と、この絵のイメージをするのです。ああでもないこうでもないと脳内でエスキースします。 それで本番の時、このアルテマウェポンを描くのです。この絵の見所は目がいっぱいあることと、鑑賞者に衝撃を与えるように、余白を作ったり、なんかすごいことになりそうだなという演出がところどころに散りばめてあります。 この獣は月に向かって火を吐いています。その周りには火の粉が舞っている。この絵は「動き」をあわわしています。 もう一幅は「静かさ」を描いています。アルテマウェポンが草を見て心休めているそんな図です。 この二点とも掛け軸です。縦に長方形で長居でのすが、この絵は縦で演出していこうというそんな枠で何か絵を物語を描いていきます。 先述した通り、ほとんど自動書記で描かれた絵ですが、構想の方が先にできていて、それをイメージを写し出しているだけに過ぎないのですが、絵筆を持つと絵筆が思考を始めます。それに乗って流れに乗ってしまえばすぐにできます。 まがまがしさを描くため、そんな心境になって掛け軸に向かって、そして少し逍遥な気分になって、風雅な気分になりつつ、茶を飲みながら描いていきます。 画材は和紙にアクリル絵の具です。 ファイナルファンタジー6のアル

ギャラリーK アートアニマル展   像ぞう造さんの作品を見て

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ギャラリーK アートアニマル展   像ぞう造さんの作品を見て 小さい作品である。いつもこんな感じで発表する。この小品を信念もってやっているのだ。質も高い。 小さい作品ゆえにその一点の集中できるのだろう。 あまり、手を抜いていない。手を抜いている様子が全くない。額も自分の作るのだそうだ。これなんか装飾的であり、雑貨品としても工芸品としても職人技というか高い技術だ。 像ぞう造さんは一時期クリムトシリーズを作っていた。工芸作家として同じ共感性があったのだろうか。それは必然の共感による呼応のようにクリムトシリーズを描いていた。 この絵はペンギン、なにやら逍遥している。どこどあてのない旅をしているのだろうか。どこか遠くを眺めている。 それほど衝撃的でもない。かといって悪くもない。落ち着いている。その落ち着き様は人生に無常を感じているのだろうか。そんな激しくもない。でも、落ち着いている。そして、人の心をかきむしるような胸くそな感じは全くない。 像ぞう造さんの作品は出せば売れる人なのだ。誰かが何点か購入する。確実なファンもいる。その落ち着いた無常の作品を! アートなのか? もっと別の何かか? あまりにも被害のないまるで無害、そんな絵は像ぞう造さんにしか描けないだろう。なぜ、こんなに毎回安定しているのか?かなり不思議な世界である。 俳句に絵が描かれている。 挿絵と言って良いのか。漫画なのか?これもそこばくのファルスもある。何だろう、この詩も挿絵も特に毒がない。 絵も水墨画の様であり、工芸の貴重品のような作品は技巧がきめ細かい。落ち着いている。心が動かない。静かな世界にただ佇むペンギンの墨象はなにを思う。 音楽で言えばロックではない。 絵で言えばピカソでもない。 それらとは縁も無い。まったくの静かなオシャレさ。 それを確立してずっとこうした絵である。日本の水墨画のようなそんな軽い気持ちで観れるのかな。そんな安定している作品は売れ続けているのだ。実際にファンもいるし、その静かな感性に落ち着く人もいることは事実なのだ。 職人であることを探ろうとここまで書いて考えてみましたが、やはりそれなりの美的な価値もあるこ

ギャラリーK アートアニマル展  小柳裕子さんの作品を見て

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ギャラリーK アートアニマル展  小柳裕子さんの作品を見て ぬうっと首が伸びてこちらを見る、もしくは眺めているのか。Tシャツに描かれた絵はなんかかわいい。何だろう、不思議な気持ちになる。何か心臓がこそばゆく、くすぐったい気分であります。この図はアルパカという動物で羊毛をもたらす動物であるそうだ。瞳が弱そう、しかし、なぜか、弱いものは可愛くもある。 弱きもの、儚きもの、頭のよくないのは決して悪いことでもない。このアルパカはどことしかな呑気であり、そして愛らしい。 動物って本来そういうものなのか?いかめしい龍とか虎とかとは違う。かわいいが基本なのか。 小柳さんは動物に愛らしい瞳で見つめているのであろう。動物を見る目が可愛らしい情景で見つめていることがこのTシャツに描かれた絵と、この色の優しいおさえた感覚が醸し出す美があるのだと思います。 猫の擬人化したお友達の絵図が仲よさそうにじゃれている。服を着て、楽しそう。こういうのどかな感覚は大事だと思う。日々、厳しく生きていて仕事と時間に修羅のような態度で生きていると、ついこうした小柳さんのアートを見て癒されるのもいい。 そして、とてもこそばゆくて、心臓がくすぐったい。 猫のフェルトで作られた顔が額縁にはめられている。猫の顔をゆっくり覗く、猫は若そうだ。こちらを少し睨んでいて少女のように敏感であることが伝わる。かわいいこともそうであが気品に溢れている。品の深い少女性に満ちた輝きが放たれ、子猫のように敏感だ。この猫のフェルトの立体は品を感じる。そこを感じるのが鑑賞のポイントであると思います。その作品を見てチラチラと見て心に感じる感情を楽しむのがいいと思います。 付け襟というのがある。 筆者はいいかもと思いましたが、女子に作られたものゆえに男性の年季の入ったおじさんには向かないとのこと。 確かにそうかもしれない。女子にこそ付け襟がふさわしいだろう。 今回、小柳裕子さんも出品しました。ギャラリーKのオーナーであり、ギャラリストであります。こうして、企画を作り、作家たちにチャンスを与えて発表を助けてくれています。 決して小さなスペースではないゆえに大きな作品も出品可能です。常連の作家もいてそれぞれが作

ギャラリーK アートアニマル展    宮崎聡子さんの作品を見て

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ギャラリーK アートアニマル展    宮崎聡子さんの作品を見て 猫だった。猫がいる。それだけでかわいいそんな絵だ。猫好きにはたまらないはず、そう、宮崎さんは猫が大好きであり、動物が好きなのだ。生まれてこの方、動物に縁があって作品にまで動物を写し描く、それはハートから湧き上がる思いと愛があるのだろう。 他には犬の絵もある。犬は文字でいっぱいである。新しい表現であり、見たこともないそんな面白い、誰もやっていないような作品表現でありました。少なくともギャラリーKでは宮崎さんしかやっていない新しい表現であることは言えます。 動物の絵であり、そこには平和のメッセージが込められている。平和を願い、平和主義であり、楽しい人なのだ。アートに、作品に思想を込めて、その色彩に愛を込めている。 動物を蹂躙するようなそんな世の中は嫌であろう。もっと動物も同じ仲間、地球に住まう友人として共に共生するのが夢であり、平和になってくれたらと、小さ画廊ではあるが、世界にメッセージを送っているのだ。 道義に合わないのが好きでないのだろうか、そうでなくけっこう柔軟な考え方の持ち主でポジテイブな思考を持っている。そこに色彩の勇気も出てくるのであろうかと推察する。 小さな画廊といったが美術作品の評価は意外に小さいコミュニテイーやクローズの中で決まっていくことがある。クローズの中の評価から広がりをつなげていくのであって、そういう意味でこうして少数の人からによる評価がとても大事であり、それを理解するような素地と、実績作りが必要なのです。 美術作品で世界を平和にしたい。 その思いは誰かに伝わればそれは大きな広がりになるだろう。アートも評価され、その思想も、作品も世界に広がる可能性に秘めているのだ。 そういう意味でスケールの大きさを持っているし、作品もそのメッセージ性も強いし、しかも絵自体も質が高い。アクリル絵具を使っていますが、その方法も何層にも塗り込んでいて色の発色が強烈 であるのが現物の宮崎聡子さんの美術作品を見てその衝撃が伝わってくる。 かなり、勤勉なんだろうか?かなり質が高いし、手数も多い、しかも作品がライトで思想も強い、現代アートとして強力な作品である。 また、値段が今は安く設定している

ギャラリーK アートアニマル展  宮口健仁さんの作品を見て

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ギャラリーK     アートアニマル展  宮口健仁さんの作品を見て 細部に及ぶ線の文様は、縄文人の体に刻まれた入れ墨のように、動物や神獣に象徴的に、魔術的に描かれている。 何かの神官かのように見える獣、または神なる動物、妖怪?そういう奇跡をもたらす絵に描かれた動物、そして、この今の時のコロナを癒さんと、または、病気の退散を祈ってアマビエを描く、今回の宮口さんの作品はサンボリズムにでもなったのか? シンボル的なもので全て覆われていて、これは絵なのか。または絵なのであろうが、神の御姿を描いて、その作品の一作一作が宗教的な可能性を内包し、それ自体が何らかの御神体とも言える平面作品である。 これは美術作品か? これは、象徴的であって、神を写しこんでいるのかもしれない。美術作品と定義してもいいし、宗教的な神官が描かせた宗教美術またはそのまま御神図を降ろしたかのようだ。 この像に刻まれし文様、アマビエに装飾されたステンドグラスのような色分けに、その一つ一つの文様、または入れ墨には古代の美意識も感じられる。 そういう意味で、この絵は古代の宗教精神が蘇ったことを図で証明しているかのようだ。 他の、犬とか鳥は水彩画で丁寧に描かれている。または手慣れた筆先のテクニックは勢いも感じられます。熟練の技のようであり、またそこばくの衝撃もある。 水彩は衝撃的な表現にあまり向かないが、そこを質の高いレベルにまで押し上げるのはなかなか難しいのではないだろうか?少なくとも筆者には描けないだろう。でも、この作品じっくり見ると描けるのでないかという予感も感じるから、お手本のような水彩の先生なのだろう。 魔術的な絵を描いた理由はおそらく、このコロナの禍を諌めるための慰霊も込めてそういう境地を発見したのではないかと思うのだ。そこに祈りとか祈願とかそういうものがあったのではと思います。 サイにしてもそうだし、入れ墨が入ってそれが神に捧げるための生贄のようにもなるのか?それともサイという動物自体が神の獣なのであろうか。そのようないかめしいものを感ずる。周りの風景は穏便に穏やかである。のんきにすら感じる。宮口さんの心は穏やかであったのか。もしくは絵は穏やかでも、作家自身は必死なのか。それと

ギャラリーK アートアニマル展   NOSEあつしさんの絵を見て

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ギャラリーK    アートアニマル展          NOSEあつしさんの絵を見て コミュカルなそんなユーモアに満ちた絵図があった。皆さんも見ても通り絵画はかなりの客観性に確実である。見ればわかると言うか、見ればそれだけでわかると言う絶対性、それは目で見たものは信用に値するそんな確実である。 それなら絵画でなくて写真でもいいのではと思うであろう。絵は写真のように証拠としてはまた別の次元にあるといってもいい。 脳内にあるホモンクルスが絵であるし、ある種の直感による預言であることもあるのだ。 このNOSEあつしさんの絵は見ての通り昔のトカゲ族の恐竜である。それもだいぶ戯画に描いており楽しい、面白い、そのような漫画でもない、それでいてイラストでもない、なんなんだろうか?それはただあるだけで楽しくなる日本美術の系統を継いでいる「鳥獣戯画」のように面白く表現している。 かなり、NOSEさんの美学に通じる明るくて見る者を楽しく愉快にしてくれる美術、もしくは新しい戯画をこの絵に表している。 恐竜のSM社があり、それだけでも笑える何かがある。ウケを狙っているのだろうか。いくら真面目な絵を描いても面白くて笑える絵というのはかなり珍しくもある。 笑いはある種の学問に勝るという言葉を聞いたことがあるが、笑わしてくれてこのように明るい絵の具で平面的に塗り込むのは目に直接に想像と画像が入ってくる。そして、この絵を見てニヤニヤしたりクスクスしたりするものなのであります。 恐竜をかわいく描き、線の輪郭もわかり易く曲線を多用して目に心地よい造形になっているのが鑑賞者に優しいのではないだろうか。 難しい顔して見るものでなく、子供のいる家庭でこのNOSEあつしさんの絵を部屋に展示、飾れば子供は明るい気持ちになり、心も安心するだろう。そのような効果もあるだろう。 人々を、鑑賞者を幸福にする絵があってもいい、喜劇的なそういう絵もあってもいい。いかめしい顔をして見るのもいいのですが、簡単に明るい気持ちになって絵を見るのを楽しむのもいいのではないでしょうか。 恐竜はキッズにとってそれを調べることは大切な趣味とも言えるし、楽しみ、または娯楽であります。あと、それがきっかけで考古学者になることも