絵を見ることについて考えてみたよ
絵について考えてみたよ 最近なにしているか?絵のことを考えている。絵の画面のことを、絵のその図を、 周りのアーティストにも質問したり聞いてみると、どうやら制作の前から図が浮かぶようである。 これは何かな美術家っていうのは見えないものを感じたり見えたりする。それはなんだか超能力者というか霊能者ではないかと思っています。 美術家はどこかの世界とつながっている。 それは SF の世界かもしれない または、神話の世界かもしれない まあ、ひとそれぞれ違う宇宙を生きていることもある。なんていうか、世界観というかどこかの次元とチャンネルを合わして、この現実のわたしたちが再現しているのが美術作品かもしれない。 そういう話を昨日、友人と電話で話していた。 アートをやっている人はそんな見えない世界を見て聞いたりして、それは第三の目でみるのだ。 詩人第三の目と呼ばれるものを開くのであろうね。思考したりする人でもその観念世界が見えてプログラムを作ったりして理論を作ったりしている。 美術家っていうのはきっすいの詩人か、霊能者か、超能力者か? まあ、そんなことを考えてみました。 この前、絵を見た。誰の絵かわからないけど、とりあえず展示作品をみまわって、何か得るものがあったのだろうか。絵は自分で認めないのしっかり見ないものですね。見るっていることはけっこうなにか神秘的な可能性があるのではないか。 認める、見る。そこには絶対の鑑賞がある。絵は観なくてははじまらない。じっくり見るのはその絵を認めて思考しているとも言える。 絵と、見る人。それは簡単であるがなかなかむずかしいこともある。いくら説得や無理やり見させてもピンとこないものはこない。 なぜか、 絵と、見る人が相互合意の上で成り立つというより、鑑賞者が絵を見て思考している事実をわたしは知っている。絵をただ見るのはカンタンであるが、絵を見てしまったらその事実を消せないのだ。どうしよもない、これが認めると言う事になるし、次の段階になると絵を見て思考する。それはその絵の内容を解凍し自分の脳内に電気がながれる。絵を見て考えているのだ。 鑑賞者もそりゃたのしめるだろうし、かんがえるだろう。そして、